2007.07 今月の法話
人生の“宿題”に向き合う(鹿児島別院 友岡 善照)
照りつける太陽ー。暑がりな私にとっては思わず愚痴の出そうな時節となってまいりましたが、ふと子どもの頃を思い出すと、七月の今頃は特別楽しかったような気がします。それは夏休みのスタートの時期だったからでしょう。
とにかく夏の持つ雰囲気と長期の休みというのがたまらなくうれしくて、わくわくしながら過ごしていたこと思い出します。そうしているうちに、しなければならない宿題もいつの間にか楽しい遊びや行事の誘惑に負け、おろそかになり、「明日にしよう」「まだ何日ある」とか言いながら気づくと残した宿題の山にかこまれ、八月の終わりをむかえているのです。「あぁ、こんなことなら」と反省しても時は待ってはくれません。
私たちの人生もどこかこうした姿に似ています。目の前の束の間の喜びをつかまえることに心奪われ、日々移り変わりながら、また、限りあるいのちを抱えながら、その大切ないのちの問題、人生の宿題に真剣に向き合うことを忘れています。そして、まるで永遠のいのちでもあるかのように錯覚しながら、気がつくと大事な人生もあっという間に過ぎ去っているのではないでしょうか。
相田みつをさんの『そのうち』という詩の一節に
「そのうち そのうち そのうちと 出来ない理由を くりかえしているうちに 結局は何もやらなかった 空しい人生の幕が下りて 頭の上に寂しい墓標がたつ そのうち そのうち日が暮れる 今きたこの道帰れない」
とあります。
じっくりとかみしめたいものです。